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伊吹山豆知識

伊吹山の誕生

伊吹山の地層が形成されたのは、日本全国がまだ海の底にあった古生代(約2.5億年前)の海底。 古生代末期~中生代初期の大造山運動により、日本の大部分とともに海上に姿を現しました。 その後、衝上断層しょうじょうだんそう(=押しかぶせ断層)が起こり、山頂付近は石灰岩で覆われました。

※ご参考・・恐竜で有名なジュラ期は中生代中期の2.1億年前頃

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ヤマトタケルノミコトにまつわる話

ヤマトタケルノミコトは、古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されています。 今から2千年ほど前、日本武尊は伊吹山の荒神を退治しに伊吹山に登りますが、途中で白い大きな猪と出会います。 日本武尊はこの猪を「伊吹の荒神の使いの者」と思い、「今殺さなくても、帰りに殺してやろう」と言われたが、この猪こそ伊吹の荒神自身だったのです。 荒神は日本武尊の言葉を聞いて大氷雨(雨と霧)を降らせ日本武尊は命からがら下山します。 伊吹山の麓に湧き出る清水のもとで休みようやく正気を取り戻します。 この清水が 居醒いざめ の清水(=玉倉部(関ケ原町玉)の清水)と言われており、現在でも手の切れるような清水が湧き出ています。この清水を辿って鍾乳洞も発見されています。 伊吹山山頂にある日本武尊は、この伝説を記念して建てられたものです。スカイテラス駐車場のスカイテラス伊吹山では、この伊吹山からの湧き水でたてた「伊吹名水コーヒー」を提供しておりますので、一度ご賞味下さい。

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大地に書かれた「五芒星(ごぼうせい)」

伊勢神宮・熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)・伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)・元伊勢 外宮豊受大神社(もといせ げぐうとゆけだいじんじゃ)・伊吹山を線で結ぶと、地図上に奇麗な『五芒星』が浮かび上がる。

近畿の主要神社を結ぶと『五芒星』が浮かぶ この五芒星は、中心に奈良の「平城京」があり、平城京を守る結界と言われている日本のレイラインと言われています。 さらに、伊吹山の東には「富士山」、西には「出雲大社」があり、この3点は一直線で繋がっています。 伊吹山は底知れぬパワーを感じさせてくれる「霊峰」なのです。

グーグルマップで近畿の五芒星を見てみる

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松尾芭蕉「奥の細道」と伊吹山

元禄2年(1689)の秋、俳聖・松尾芭蕉の、「奥の細道」は伊吹山のふもとの街「大垣市」で終えますが、その途中、伊吹山の美しさを称えこんな句を残しています。

そのままよ 月もたのまし 伊吹山

意味・・伊吹山は月の力を借りなくても、そのままの姿で十分に美しい

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大男「伊吹弥三郎」の伝説

昔伊吹山に住んでいた(と言われている)、山のように大きな体を持つ怪力の大男。 伊吹山とその隣の七尾山を天秤で担いだところ、伊吹山の方が重く少し傾いたため、七尾山の方に自分の弁当を乗せ釣り合わせたという話や、伊吹弥三郎は暴れ者で、体も頑丈だった為、脇の下の急所に矢を射ることでりようやく討ち取ったという話などがあります。
鬼の酒呑童子の父とも言われています。

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日本そば発祥の地「伊吹」

伊吹山麓は昼夜の気温差が大きくそばの栽培に適していて「日本そば発祥の地」としても有名です。
日本のそばの栽培は伊吹山で始まり、木曽、甲斐、信濃などに伝わり、やがて北海道にまで伝わったと言われています。

手打ちそばを提供されているお店「そば処伊吹野」さん

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まぼろしの伊吹大根

15cmから25cmほどの小型のだいこんで、尻づまり型をしています。茎の部分が少し紫色で、薬味などにも使える独特の辛みがあることが特徴。 収穫のとき、蹴ってだいこんを掘り起こすことができるほど根が浅く入っていることから、地元(旧伊吹町大久保辺り)では、「けっからし大根」とも呼ばれています。 流通量が少なく、一般市場では手に入りにくいですが、肉質がよく型崩れしにくい為、煮物や漬物、また、おろしそばにも最適で地元では重宝されてきました。

伊吹大根の参考画像が見られるアドレスご紹介

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上平寺峠(ドライブウェイの12km地点)

物々交換が盛んに行われていた時代、滋賀県側の上平寺部落からは「米」を、岐阜県側の春日部落からは「炭」を持ち寄って、上平寺峠(ドライブウェイの12km地点)で交換されていました。この風習は明治の末まで続けられていました。

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校歌の山「伊吹山」

地元の滋賀県、岐阜県はもちろん、愛知県でも350以上の小中学校の校歌で謡われる伊吹山。皆のこころのふるさとです。

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東西文化の分岐点

伊吹山は、言葉や味覚といった日本人の生活文化の分岐点にもなっています。

言葉は伊吹山を堺に東側では西濃弁と言われる岐阜・愛知など東海圏の言葉になり、反対側の西の滋賀県側では、いわゆる関西弁のイントネーションが混じった言葉になってきます。

また、「味覚」については東西の味覚の境界線というものがあり、伊吹山のふもと「関ケ原」と、飛騨山脈・親不知を結ぶ線で東西が分かれます。

「東の濃い口、西の薄口」と言われている通り、特に出汁文化に東西の違いが出ていて、カツオを中心とした濃い口の関東味と昆布を中心とした薄口の関西味は、ここ伊吹山で東西に分かれています。和風カップめんの味や、コンビニのおでんのつゆ、新幹線の名古屋駅のホームにある「きしめん屋」さん味が上りと下りで違うのも有名な話ですね。

その他、お雑煮のお餅の形(東の焼いた角餅・西の焼かない丸餅)、おにぎりの形(東の三角、西の俵)、うなぎのさばき方(東は背開き、西は腹開き)などにも違いが。

食べ物以外では、エスカレーターでの立ち位置(関東は右空け、関西は左空け)や、一番多い苗字の違い(関東NO1の「鈴木」さんも関西ではベスト10圏外(関西NO1は「田中」さん)畳の大きさ(京間6畳は江戸間6畳に比べ約1畳分ほど大きい)、電気の周波数、マクドナルドをマック(関東)と呼ぶか、マクド(関西)と呼ぶか?など、生活文化に関する東西の違いは多岐にわたります。

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伊吹山の岐阜県側のふもと「関ヶ原」

【関ヶ原の戦い】 西暦1600年、石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が東西を二分するこの地で繰り広げた、戦国最大ともいわれる天下分け目の戦。

国道から少し脇道に入れば有名な石田三成の陣地址「笹尾山」があるなど、街全体が合戦の跡地となっている。

歴史探訪での街歩きや健康のためのウォーキングなども人気で、関ヶ原町が主催するウォーキング大会や「武将隊」によるパフォーマンスも人気。

【交通の要所関ヶ原】江戸時代の五街道の一つとなった中山道は江戸の日本橋から京都の三条大橋を結ぶ重要な街道で、東海道のように水による交通障害(大井川の河留め、浜名の渡し、桑名の渡しなど)がほとんどない為に女性に好まれたとも言われる。

また、現代においてもJR東海道線、東海道新幹線、名神高速道路といった、日本の東西を繋ぐ重要な役割の鉄道や道路が関ヶ原を通っている。

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